京都地方裁判所 昭和60年(行ウ)11号 判決
京都市左京区修学院檜峠町六-五
原告
今井静平
右訴訟代理人弁護士
高田良爾
京都市中京区柳馬場通二条下ル等持寺町一五
被告
中京税務署長
前田輝郎
右指定代理人
矢野敬一
同
足立孝和
同
三好正幸
同
戸根義道
同
下芝一守
同
高田安三
同
岸川信義
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一申立
一 原告
1 被告が原告に対し昭和五七年一二月一七日付でした昭和五五年分の所得税の更正及び過少申告加算税賦課決定をいずれも取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文と同旨。
第二主張
一 原告の主張
1 原告は、昭和五五年分の所得税について、確定申告書の特例適用条文欄に「措置法三五条」と記載し、別表1及び2の当初申告欄記載のとおり記載して法定申告期限までに申告した。
被告は、昭和五七年一二月一七日付けで原告に対し、別表1及び2の更正処分欄記載のとおりの更正及び過少申告加算税賦課決定(以下、本件各処分という)をした。
2 しかし、被告は、昭和五七年法律八号による改正前の租税特別措置法(以下、措置法という)三五条(居住用財産の譲渡所得の特別控除)の解釈、適用を誤り、分離短期譲渡所得金額を過大に認定している。
3 よつて、本件各処分の取消を求める。
二 被告の答弁
1 原告主張1の事実は認める。課税の経過及び内容は別表1及び2記載のとおりである。
2 同2の事実は争う。
三 被告の主張
1 原告は、昭和五五年中に次のとおりの分離短期譲渡所得を得ている。
(一) 原告は、昭和五五年七月一七日に別紙物件目録記載の土地及び建物(以下、本件不動産という)を訴外福川睦及び福川弘子に三七〇〇万円で売却した。
(二) 本件不動産は、原告が昭和四六年六月二二日に訴外池田芳一から買い受けたもので、その取得価格は、土地が六七〇万円、建物が二三一万五六七一円(所得税法三八条二項二号により、取得費から償却費の累積額を控除した残額)の、合計九〇一万五六七一円である。
(三) 原告は、本件不動産の譲渡について、次のとおり仲介手数料合計二四〇万円を支払つている。他に譲渡に要した費用はない。
昭和五五年七月一七日、加藤龍夫に金四〇万円。
右同日、三井ハウジング株式会社に金五〇万円。
昭和五五年八月二七日、右同社に金一五〇万円。
(四) 結局、右(一)から(二)と(三)を控除すると金二五五八万四三二九円となるところ、本件不動産の譲渡による所得は措置法三二条一項所定のいわゆる分離短期譲渡所得となる。
2 以上のとおり、原告は昭和五五年中に分離短期譲渡所得金額二五五八万四三二九円があつたのであるから、その範囲内での本件更正処分は適法であり、また、原告は更正処分を受けたことについて昭和五九年法律五号による改正前の国税適則法(以下、国税適則法という)六五条二項の「正当な理由」はないから、更正処分と併せてした本件過少申告加算税賦課決定処分も適法である。
四 原告の反論
1 右被告の主張中1項(一)ないし(三)の事実は認める。同(四)の事実は否認する。
2 (再抗弁)原告は、本件不動産を購入以来、次のとおり、これを継続して居住の用に供していた。
(一) 原告は、昭和四〇年に結婚した当初京都市中京区西ノ京南原町一五番地(以下、南原町という)に居住していたが、妻恵美子との折合が良くなかつたので、京都市右京区太秦一ノ井町九番地の建物(以下、太秦という)を賃借し、昭和四六年一〇月から妻と子供のみ太秦に居住させ、自らは、そのころに妻や子供らと同居する目的で購入した本件不動産に単身転居し、以来、妻との争いが円満解決しないまま、原告のみが本件不動産に居住して同所で刺繍工芸及び悉皆業を営んでいた。
(二) その後、原告は昭和五三年七月二二日京都市左京区修学院檜峠町六番地の五の土地建物(以下、檜峠町という)を購入し、妻と子供らは太秦から檜峠町に転居したが、原告は引続き本件不動産に居住した。
(三) 原告が本件不動産での居住を止めたのは、妻との争いが円満解決した昭和五五年一〇月ころである。原告の住民登録は昭和四七年一月二四日から昭和五五年八月二六日まで本件不動産所在地となつている。
3 よつて、本件不動産の譲渡は、措置法三五条一項の居住用財産の譲渡に該当し、その譲渡所得金額の計算に当つては、同項一号所定の特別控除額三〇〇〇万円が控除されるべきである。
五 再抗弁に対する被告の認否
原告主張の再抗弁事実中、原告がその主張のころに太秦の借家を賃借したこと、本件不動産を購入して同所で刺繍工芸及び悉皆業を営んでいたこと、その後檜峠町に自宅を購入したこと(但し、購入日は昭和五二年五月三一日)、原告の住民登録が昭和四七年一月二四日から昭和五五年八月二六日まで本件不動産所在地となつていることは認める。原告が昭和四六年ころから昭和五五年一〇月ころまで本件不動産に居住していたとの事実は争う。原告は、本件不動産を取得して以来、一貫してこれを自己が営む「刺繍工芸及び悉皆業」の事業所として使用し、本件不動産を生活の拠点として居住の用に供したことはない。原告は、昭和四六年一〇月六日に南原町から家族と共に太秦に転居し、昭和五三年七月二二日に太秦から檜峠町に転居している。
第三証拠
本件記録中の証拠関係目録記載のとおりである。
理由
一 本件各処分
原告主張の申告並びに更正及び過少申告加算税賦課決定があつたことは当事者間に争いがない。
二 分離短期譲渡所得金額について
原告が昭和五五年七月一七日に本件不動産を金三七〇〇万円で売却したこと、本件不動産は原告が昭和四六年六月二二日に買受けたもので、その取得価格は、土地が六七〇万円、建物が二三一万五六七一円(所得税法三八条二項二号により、取得費から償却費の累積額を控除した残額)の合計九〇一万五六七一円であること、原告が右買受について仲介手数料金合計二四〇万円を支払つたこと、他に譲渡に要した費用はないことはいずれも当事者間に争いがない。また、右売却代金から取得価格と仲介手数料を控除するとその譲渡所得金額が二五五八万四三二九円となることは計数上明らかであり、且つ、右争いがない事実によれば右譲渡所得金額二五五八万四三二九円は措置法三二条一項所定のいわゆる分離短期譲渡所得にあたるものと認められる。
三 再抗弁(措置法三五条一項の適用)について
1 原告は、昭和四六年一〇月ころから昭和五五年一〇月ころまで本件不動産に居住していたと主張し、その本人尋問において、昭和四〇年に妻恵美子と結婚し、原告の両親と共に南原町に居住していたが、恵美子と母との折合が悪かつたため、昭和四五年五月ころから他に住居兼仕事場を買いもとめようと計画し、昭和四六年六月二二日に本件不動産を購入したが、夫婦仲も良くなく、恵美子と子供らは昭和四六年一〇月ころ南原町から同女の兄が探してきた太秦の借家に転居し、原告のみ本件不動産に転居し、その一階部分を作業場とし、二階と離れとを寝室等として使用し、太秦に泊まることはなく、恵美子は太秦から通つて来て仕事を手伝つていたが、昭和五三年七月ころには原告と家族の住居として檜峠町の自宅を購入し、原告の妻子はそのころ同所に転居して以来同所に居住しているが、原告は、時々は檜峠町に泊まることがあつたものの、昭和五五年一〇月ころまでは本件不動産に居住していたと供述する。そして、原告の住民登録が昭和四七年から昭和五五年八月二六日まで本件不動産所在地にあつたことは当事者間に争いがない。
2 ところで、
(一) 原告が、昭和四六年ころ太秦に居宅を賃借し、妻の恵美子と子供らを同所に居住させ、恵美子を太秦から本件不動産に通わせて、原告が本件不動産で営む刺繍工芸及び悉皆業を手伝わせ、昭和五三年ころに原告と家族の住居として檜峠町の自宅を購入し、妻子をそのころ同所に転居させ、以来同所に居住させていることは、前記のとおり原告の自認するところである。
(二) 原告本人尋問の結果によれば、原告は太秦の借家のごく近くにガレージを借りて同所に普通乗用車を置いていたと認められるところ、証人今井恵美子の証言によれば、原告の妻である同女が自動車の免許を取つたのは檜峠町に転居した後の昭和五五年一一月ころと認められ、同ガレージ及び自動車は専ら原告が使用していたものと推認される。また、右各供述によれば、原告は、小林寺拳法の有段者であるが、太秦の居宅玄関に「小林寺拳法有段者会西ノ京支部」との看板を掲げていたことが認められる。
(三) 成立に争いがない乙二六号証ないし三〇号証によれば、原告は、昭和四八年ないし五二年分の所得税確定申告にあたり、本件不動産を事業所として、太秦の借家を住所とし、本件不動産所在地所轄の中京税務署ではなく、太秦を所轄する右京税務署に申告していることが認められる。
(四) 原告が時々は檜峠町で起居していたことは原告の自認するところであり、また、成立に争いがない乙三二号証によれば、原告は、その国民健康保健の住所地を昭和五三年七月二二日から檜峠町と届出ていることが認められる。
(五) 原告は、その本人尋問で、昭和五五年一〇月ころに本件不動産を明渡し、その少し前に本件不動産から引越したが、買主が下見に来たころには未だ転居しておらず、本件不動産に居住して、テレビ、冷蔵庫、茶箪笥等の家財道具も置いていたと供述するところ、本件不動産の買主である証人福川弘子の証言によれば、同女が本件不動産の内部を検分した昭和五五年七月ころ、本件不動産内に生活用品等は見掛けられず、人が居住している様子はなかつたと認められる。
3 右2の事実によれば、原告本人尋問の結果及び証人今井恵美子の証言中、原告が本件不動産に居住していたかにいう部分は、あまりにも不自然かつ不合理であつて、措信できず、甲二号証ないし一三号証によるも、また原告の住民登録が昭和四七年一月二四日から昭和五五年八月二六日まで本件不動産所在地となつているにしても、未だ原告が生活の拠点として本件不動産に居住していたとは認め難く、他に本件不動産が原告の生活の拠点として居住の用に供されていたことを認めるに足る証拠はない。
原告は、本件不動産を取得して以来、これを自己が営む「刺繍工芸及び悉皆業」の事業所として使用しているものであり、あるいは同所で起居することもあつたにしても、措置法三五条一項にいう「居住の用に供している家屋」とは、真に居住の意思をもつて生活の本拠としていたことを要し、時時に臨時に居住する家屋、又は転居準備中の仮住まいのため等一時的な目的で居住する家屋はこれにあたらない(当庁昭和五五年(行ウ)第二号昭和五八年三月一八日判決・シユトイエル二五五号二〇頁・税務訴訟資料一二九号六〇七頁)ことに照らし、その生活の拠点としては、昭和四六年一〇月に南原町から家族と共に太秦の借家に転居し、昭和五三年七月二二日に太秦から檜峠町の自宅に転居しているものと窺われる。
4 以上によれば、本件不動産の譲渡には措置法三五条一項による特別控除の適用はない。
四 そうすると、原告には昭和五五年中に分離短期譲渡所得金額二五五八万四三二九円があつたこと前記のとおりであるから、その範囲内での本件更正は適法であり、また、原告が措置法三五条の適用があるとして確定申告をしたことについて国税通則法六五条二項の「正当な理由」があつたと認めるに足る主張立証はないから、更正処分と併せてした本件過少申告加算税賦課決定も適法である。
五 よつて、原告の請求は理由が無いから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井関正裕 裁判官 田中恭介 裁判官 榎戸道也)
別紙
物件目録
一 京都市中京区西ノ京南壺井町五〇番地
宅地 一一九・六〇平方メートル
二 同所
家屋番号 五〇番
木造瓦葺二階建居宅
一階 四三・三七平方メートル
二階 二六・六七平方メートル
別表1
課税の経過及び内容
〈省略〉
(注) △は損失を意味する。
別表2
分離短期譲渡所得金額の計算
〈省略〉